昭和の自衛隊(番外編3)-保安隊から自衛隊へ

さて、前回の続きですが、ここから先はそれほど面白い逸話はあまりないのですが、備忘もかねて。

おやじは27年の1月に一度帰郷を許可されて秋田に帰り、帰営のため青函連絡船に乗った際、酔狂にもずっとデッキに出ていてしこたま風邪をひき、それをこじらせたのでありました。

営内に戻っても風邪は全然良くならず、最終的に医者に掛かったところ肺浸潤と診断されそのまま入院、2月~5月まで病院暮らしと相成ったそうであります。

うちのおやじは私が物心ついてからは病気知らずの頑健体質なのですが、当時は栄養状態が悪かったのでそのせいでしょうかね?

(肺浸潤といえば私の感覚では、え!結核じゃないのそれ?なのですがおやじ曰くいろいろな見解があるとのことで、結核という認識ではないらしい フム)

さて、退院後も引き続き営内休を言い渡され一週間ほど同様の営内休の同僚隊員と過ごしたらしいのですが、当時は6万円の一時金欲しさにだらだらと病気を理由に営内休を続けているような隊員も結構いたらしく、うちのおやじはこんなところに長くいてはマズいと本気で心配したとのことであります。

そんな折、旧軍出身の先任士補から職種募集の話を聞きます。新しく設立される武器課の設立要員に応募しないか?という話だったようです。この時期米軍側からの指示もあり各種部門の設立と要員養成が急務になっていたと思われ、若い隊員は囲い込みの対象になっていたのでしょう。

27年9月遠軽にて正式に島松に置ける武器課設立要員の募集があり、おやじはこれに応募。27年10月設立が発令され27年12月正式に補給廠のある島松駐屯地のそばの恵庭駐屯地に移駐・編成完了(WIKIで見ると第728武器大隊)。これでおやじの職種が武器課になることが確定しました。

この後すぐ27年10月には警察予備隊は保安隊に改組になります。おやじも二等警査から二等保査に階級が変わります(呼び名が変わっただけともいう 笑)。

このあと28年~29年にかけては島松で隊務についており特別な逸話はなしであります。階級は一等保査、保査長、29年1月に三等保安士補(自衛隊でいう三曹)へと順調に昇進しております。

この後29年7月に保安隊は自衛隊にまたまた改組、おやじは三等陸曹にまたまた階級が変わりました(笑)

29年12月の時点でおやじは武器群本部中隊に所属していたと言っております。(この時点で北部方面隊だったのかそれ以前の編成だったのか聞き忘れましたが)

というわけでおやじの遍歴が自衛隊の編成史ともリンクしており興味深いのですが、今回のお話は時間切れでここまで、この後私が生まれてから北部方面総監部武器部に転勤になったり藤沢の武器学校に送られたりするのですが、その話はまた機会があれば聞き取りしたいと思います。

最後に自衛隊らしい逸話で締めます。

おやじが北部方面武器隊にて勤務していた折(昭和40年前後)、武器隊隊長から『このなかで自動車免許を持っていないものはいるか?』との下問があり、その時点まで免許を取る機会のなかったおやじが手を上げて答えたところ。

すぐに免許を取るように手配がされて真駒内の駐屯地に通い、駐屯地内の練習場で練習&講習を受けて免許を取らせてもらったとのことでした。(ちなみにおやじは大特まで持ってます)。

必ずしも給与が良いとは言えない下士官自衛官に対する福利厚生の一環だったのかもしれませんがこのあたりいかにも自衛隊らしい話だと思います。(武器隊という職種柄、表向きは回収のための大特は必須という理屈だとは思いますが・・・)

それでは今回の番外編もこれにて終わりとさせていただきます。

お付き合いまことにありがとうございました。

12/14訂正:記事内で武器課としましたがこれは兵科の種類だと思うので武器科とすべきでしょうね。今回は自戒も込めてそのままにしておきます。

あと、藤沢の武器学校と書きましたが武器学校は土浦なので地名の聞き間違いか藤沢にあった別の施設なのか確認しようと思っています。

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じぇーなな(その6)基本塗装完了まで。

ひさびさの模型更新です。

自分のブログ更新もですが、ここ数か月皆様へのご訪問も滞ってしまいまして誠に申し訳ございません。

公私ともに忙しいと言えば聞こえはいいのですが、身から出た錆の部分もありまして・・・

この更新を手始めにご訪問も再開するつもりです。

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さて、どこまでブログで上げたのか忘れてしまうほど時間が経ってしまいました。

時系列で振り返ってみました。

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キャノピーマスキングの前に四式射爆照準器を作製。

キットのモールドを生かしながら、切った貼ったしてそれらしく造作しました。

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キャノピーマスキング後、全体にクレオス08番シルバーを吹いて銀剥がしに備えます。

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ここで問題発生、三点姿勢で尻もちをつかないと仮組み時に思っていたのですが、ペラをを付けてから三点姿勢にしてみると見事に尻もちをつくことが判明。

われながら間抜けさに変な笑いが出ます。

仕方がないのでエッチングソーを使ってノーズコーン(でいいのかな?)の部分で機首をちょん切りましておもりを入れて再接着・・・と。

みなさまも入れ忘れにはご用心ください(笑)

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あらためて三点姿勢。んー、やっぱ震電は精悍ですなぁ。このままシルバー塗装でも格好いいかも知れん、などとつぶやきながらしばし脳内ブンドドを楽しみます。

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このあと面倒なマスキングをするために極小まで落ち込んだモチベーションをアップするのに一苦労(実はこれに一番時間が掛かりました)。

デカールなしの頂き物キットのためマーキングも機番以外塗装なのが地味に面倒くさい。

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で、やっと昨日の時点でこの状態まで持ってまいりました。

塗装はなんちゃって三四三空になります。

ツッコミどころ満載になると思いますが、じぇーななだからちかたないね。

進空飛行時の機体は塗装も地味だし武装もないので、逆にキットの状態から機銃口なしに改造が必要だし。

機番号デカールはハセガワの紫電改から流用する予定。

ということで本日はここまでです。

お付き合いありがとうございました。

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昭和の自衛隊(番外編2)-遠軽駐屯地のこと

さて、無事に訓練期間を終え任官したうちのおやじは、そのまま遠軽の部隊に配属されました。

遠軽の駐屯地は創設時馬小屋が隊舎だったという伝説(事実)がありますが、おやじに確認しましたところ昭和27年1月の時点では、もうすでに馬小屋の面影はなく見た目は普通の隊舎になっていたそうであります。

みなさまの気になるところの当時の編成ですが、おやじの記憶によると赴任当時は遠軽の第4連隊第3大隊は本部中隊と9個中隊という編成となっていたらしい(WIKIの設立時の編成とは異なりますが、編成は随時改変されいたと思うので一応聞いた通りに書いておこうと思います)
そのうちの第一~第四中隊が歩兵(普通科)、各歩兵中隊は第1~第4小隊と付属の重火器小隊で編成、各小隊は四個分隊から構成されており、1分隊は9人編成だったとのこと。

小隊長を含め隊員は各小隊一名の自動小銃手(ブローニングM1918?)をのぞいて武装は全員M1カービンが渡されていたということです。
ちなみに中隊長はコルトの45口径を携行して小銃は持たないようになっていたとのこと。
中隊付属の重火器には60mm迫撃砲(M-2)が装備されており、さらに第5中隊が重火器中隊で81mm迫撃砲(M-1)が装備されていたとのことです。

さらに第9中隊が輸送中隊(自動車中隊?)とも言っておりました。

こうやって書き起こしていると自分でもそれでは第6~第8中隊は何だったのだろうと思うのですが、聞き取り時は酒を飲んでることもあり話はあっちこっちに脱線するわけで、
要点をメモするのが精いっぱいでありました。自覚しておりますので不備に関してはどうぞご容赦くださいませ。
当時の写真を見ると装備にM20装甲車、M-16ハーフトラック、ブローニングM2などがありますので、そのあたりの関係かなとも思いますが想像になるので今後の課題にしようと思います。

つづく

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昭和の自衛隊(番外編)-創設時の一警察予備隊員のこと

さて、私のブログの読者様の中にはご存知の方も多いのですが、私の父親は元自衛官でありまして、

警察予備隊に新兵で入隊して、叩き上げの下士官で最後は昭和61年に三等陸尉で退職いたしました。
詳しい方も多いと思いますが、自衛隊員の階級は退職金の関係で退職時に一階級昇進となる慣例がありますので、(参考:ポツダム中尉)
実質的には最終階級は准尉であります。まあお判りとは思いますが幹部コースではない正真正銘のたたき上げ下士官であります。

みなさまもそうではないかと思いますが、特に特殊な経歴のない自分のおやじのヒストリーなんぞには若いころ正直それほど興味もなく、自分からいろいろ聞き出すなどということはありませんでした。
しかし自分もそろそろ老境にさしかかり、せっかくだから創設時の自衛隊についておやじの頭が確かなうちにいろいろ聞いておこうと思い始めたのが数年前、しかしその後なかなか里帰りする機会が無くちゃんと話が聞けたのが今夏の帰省時のことなりました。
以下は書き起こし、聞き取り役の私の知識に限りがありますので階級や日時には細かい齟齬があるかもしれませんが、今となっては幹部自衛官以外の自衛隊創設時の情報は案外貴重かもしれんと思ってそのまま書き出しております。

警察予備隊に入隊と書きましたが、昭和25年8月の第一回警察予備隊隊員募集におやじは応募しておりません、というのもおやじは昭和8年4月30日生まれ、第一回募集7万5千人の応募資格は大正4年4月2日~昭和7年4月1日(35歳~18歳)だったからであります。
秋田の貧乏農家の次男坊で新制高校に行かせてもらえなかった当時のおやじとしましては、当然魅力的な選択肢であり非常に残念だったはずであります。(なんと任期2年間の満期除隊で6万円の特別手当が付いた)
 翌昭和26年さらに一万人の欠員募集がありました、この時にうちのおやじは満を持して応募したそうであります。
この時も応募資格は前回同様35歳から18歳まで、つまり大正5年4月2日から昭和8年4月1日まででありました。(この時は欠員募集で期間が短いため満期除隊の特別手当は3万円だったようです)

この後の第二回募集からは25歳~18歳に年齢が変更になったそうでありますが、上限35歳というのはいかにも創設時ならではの年齢設定でありますね。

ん?昭和8年4月1日?うちのおやじギリで採用年齢達してないやん!そんなんでちゃんと応募できたんかい?
はい、応募いたしました。結論としては合格、採用されておりますので、それほど厳格な運用ではなかったようですね。
とはいえ合格通知をもらって昭和26年10月出頭した金沢(なんと東北ちほーではない!当時まだとーほぐには拠点が無かった?)の訓練キャンプ(警察学校?)におきまして、
出頭したのに採用者の名簿に名前が記載されていないという衝撃の事態が発覚したそうであります。
 
 おやじとしましては金沢くんだりまで来ていまさらすごすごと帰るわけにはいかず、採用通知はちゃんと来ているからと係員に採用通知を突き付けて、最終的に無事採用されたとのことでありました。
普通に考えると採用通知後におやじが採用年限に達していないことに気付いた名簿作成担当者が名簿からおやじの名前を抹消したのかもしれません。
いずれにせよそのあたり実務担当者のおおらかな措置がなければ、おやじはそもそも警察予備隊に入隊できていなかったとおもうので、創設時のどさくさに感謝でありますね。
入隊時のいきさつはそれといたしまして・・・

無事入隊できたということはですね、昭和26年10月の時点ではうちのおやじは全国最年少の警察予備隊員だった可能性があるのではないかと思うのです。
まあ、うちのおやじ同様150円の初任給と満期除隊3万円の特別手当に惹かれて応募した年限未満の採用者が他にもいた可能性はかなり高いので最年少の肩書はは置いておきます(笑)
(なお給料はその後170円に増額されたそうであります)
三か月の訓練期間を終えたおやじ殿は昭和27年1月二等警査に無事任官いたしました。良かったね。

つづく

*ご指摘によりとりいそぎ一部内容を修正しております。私が年号か年齢の上限を間違えているようです調べてから正しい内容に修正します(陳謝)

第一回目が35歳~18歳であったことは間違いないようで、欠員募集もおそらく同じ条件、二回目募集から25歳上限のようであります。

更に訂正、おやじの退官は昭和61年、当時は53歳定年だったのを忘れてました。

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じぇーなな(その5)サフ一回目

夏休みを利用して実家に子供たちを連れて行きました。

ひさびさの親孝行であります。

私は正味2日しかいられなかったので子供たちをあちこち連れまわしておしまい(笑)

私にも試される大地北海道は行くたびに寂しくなっていくのが目に見えます。

そのうち本当に中国の観光客頼りの経済になりそうで淋しい限り・・・

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ところで画像は『サケのふるさと館』、秋口に千歳方面に足を延ばした際は一見の価値ありであります。

(ワシの実家のある恵庭は観光資源がないので画像なし)

閑話休題

じぇーななは現在リベット打ち、表面仕上げというとてもつまらないシーケンスに入っておりまして画像も地味なのばかりになっております。

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図面はリベットラインの省略されたものしか持っておりませんので、フィクションを交えてそれっぽくでっちあげております。

ここ数日ツィッターでも考証と模型表現について議論になってたりしているのですが、個人的にはこの二つは対立するようなものではなく境目が無いシームレスな状態でつながっているものだと思ってます。

どっちに重きをおいた作品でも共感できる部分は必ずあるので、正直対立を煽るのは不毛じゃないかと思いました。

ただ、自分の作品がどちらサイドにより寄っているのか客観的な立ち位置は知りたいなとは思ってます。

(自分の主観ではなく他社他者の目線から見ての話です)

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というわけでJ7サフ吹き一回目完了。

この後も地味な工程続きます。

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じぇーなな(その4)進みませぬ

あいかわらずJ7、

筋彫りはほぼ終わりましたが、表面処理はこれから。

合わせがよさそうに見えてもそこはオールドキット。ヒケ埋めや段差消しに一苦労してます。

そしてリベット。

といいますか、この震電、胴体が結構何かしらのアクセスパネルになっており、外板ビス止め箇所と思われる部分がいっぱいあります。

ビス止めといってもねじなのかリベット状のピンなのかは良くわかりません。

いずれにせよ主翼はともかく胴体はリベット少な目なのは数少ない画像からも見て取れます。

どうやって料理するかしばし考えます。

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手持ちの資料では、いまいち判然としませんので想像で進めてみます(え~?)

メンテナンスで外しそうな部分はアクセスパネル風の仕上げにしてみましょう。

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というわけで、進行は牛歩であります。

成型色のせいで表面の様子がいまいち把握しにくいな・・・

景気づけにサフでも吹くかな(笑)

それではまた。

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じぇーなな(その3)ちょっとだけ

J7に戻りました。

凹スジの掘り直しがめんどくさくてしばし放置したわけですが、とりあえずコクピの塗装を終わらせて土の字(先尾翼だけに士の字ではない)にしてしまおうとおもいます。

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というわけでコクピ内の塗り分け。計器盤はデカールが無いので筆で塗り分けるわけですが、穂先のコントロールの効く面相筆が1本お釈迦になったので新宿ヨドバシでちょっとお高めの国産面相筆を購入して今回筆下ろしました(←正しい使い方なのになんかエロい 笑)

結果は画像の通り。以前愛用していたラファエルの細丸筆よりは塗料の含みは悪いのですが、そこそこ穂先のコントロールは効きます。

まずは合格点。ただ、穂先ははじめから一部不揃いになってしまっておりました。

(一本アホ毛のように飛び出している)

やはりラファエルのセーブルが一番良い(個人の感想です)。

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そこそこ見栄えのする状態になったので次に進もうと思います。

それでは皆様また来週。

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さんぱちてぃーたいくうせんしゃ(その4)終了

えー、常連の皆様お気付きとは思いますが、わたしが陸物記事を上げるのは、だいたい飛行機に行き詰まった挙句の逃避行動です。

というわけではありますが続いている38(t)対空戦車。今回で一応終了いたしました。

完成としないのは一応ジオラマまで持っていく構想があるからであります。

ジオラマにするには同じく絶賛放置中のベルゲパンターをこれまた完成させる必要がありますので、その日までこいつは封印となるのであります。

Flakpanzer 38(t) auf Selbstfahrlafette 38(t) Ausf L

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異形のシルエットが多い38(t)戦車の派生車両ではありますが、群を抜いて格好いい(格好悪い?)対空機関銃搭載型です。

本格的な対空戦車であるヴィルヴェルヴィントやメーベルワーゲン、オストヴィントなどが定数いきわたるまでの繋ぎ車両であります。

暫定的な火力であることはシロート目にも明らかでありますので華々しい活躍とは無縁の車両でありますね。

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今回撮影条件が悪いせいかすべての画像のピンが甘いのはあしからずご了承くださいませ。

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三枚目の画像がほぼアランホビーの箱絵のアングルでありますが、この車両の異形っぷりをよく表しているナイスアングルであります。

動物でいうとブサかわ系ということになりますね。

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プラモデルとしてはトライスターやサイバホビーのキットがありますんで、アランのこのキットをこれから作る人がそんなにいるとは思えませんが、注意点としては。

◎グリレのキットを流用した部分の修正指示が中途半端なので指示のない部分にも修正があります。

◎足回りは履帯幅とスプロケット、アイドラホイールのピッチが合わないので現物合わせが必要です。また、足回り系はヒケや湯流れ不良がいっぱいなので割り切ってそのまま使うか、タミヤの足回り流用が吉。

◎戦闘室は箱組みで上下、左右のパーツと慎重な仮合わせ、削り込みが必要になります。

◎小物系はすべてダルいので適宜流用が吉。

◎リベットの省略が多いので植えてあげると締まります。

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ウエザリングは一通り施してありますが、生きている車両はそんなに錆ハゲしないという思い込みがありますので控えめに見えると思います。

また、車載工具は迷彩色というのが私の陸物に対する数少ないこだわりの部分であります。

今回逃避行動の果てではありますが、無事完成に至りましたことを素直に喜びたいと思います。

やったぜ。

*追記:ウィキペディアをよく読むと車台は旧式化した38(t)の改造ではなく新造なのですね。なんというかリソースの無駄遣い感が半端ない・・・

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さんぱちてぃーたいくうせんしゃ(その3)

ひさびさの更新です。

5月から6月にかけてしぞーかホビーショーやら仕事の重たい案件でお疲れ気味だったこともあって全然模型が進みませんでした(そこそこモチベーションは高い)。

ようやく先週あたりから仕事もお休みも通常進行が可能になって体調も戻ってまいりました。

(まあ体調が悪い言ってもひたすら眠いやら腰がひざが痛むやらの不定愁訴中心であります 笑)

で、週末はひさびさに模型を進めました。

震電はお休みして思い付きで38(t)対空戦車の塗装を始めました。

みなさまご存知の通り私の場合AFVはいつも塗装で失敗するので、今回は趣向を変えて基本塗装をアクリルではなくクレオスラッカーにしてみます。

アクリルでAFVを基本塗装するとウェザリングの手法が限定されるのがネックなので、今回は試行錯誤もかねていろいろなウェザリング手法を試してみようと思ってます。

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まずは軽くサフを吹いて表面仕上げの不備を修正してから、マホガニーで足回りと陰になる部分を塗装、そのあとで暗部にマホガニーを残しながら瓶生のダークイエローを吹きました。クレオスラッカーはアクリルに比べて隠ぺい力が低めなので、グラデーションを付ける際の許容度が大きいのがありがたい。

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続いてダークグリーンとレッドブラウンの網目迷彩を施しました。

小さな車両ということと箱絵の迷彩が細めの繊細な塗り分けだったので、フリーハンドは無理であると判断しまして、迷彩パターンのテンプレートを十通りぐらい準備して案配を見ながら吹き付けていきました。

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ご覧のとおり刷毛塗りともスプレーガンともつかぬ微妙な出来の迷彩塗装になりました(笑)・・・

まあ、遠目に見れば迷彩パターンの不自然さもあまり気にならないから良しとしますか。。

反省点としましては型紙を押し付けにくいところのパターンが粗にして単調になります。

あとはカーブと太さの強弱を自分のイメージより少しだけ単調になるように調整すると、良くなる気がします(今の状態はいろいろな意味で不自然&わざとらしい)。

っていうか難しい・・・

もっとがんばれ俺。

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じぇーなな(その2)

J7続いております。

表面仕上げに掛かる前にまずは具を挟まないといけません。

あまり手を入れないことにしたものの、そこはそれ資料でわかる範囲ぐらいは手を入れることにしました。

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スロットル周りは画像があるのでそれらしく。右側コンソールは良くわからないので配電盤らしきものをでっちあげて終了としました。

シートにはうすうす攻撃をしてから、ファインモールドのエッチングシートベルトを貼り付けてます。

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胴体にセットして見える範囲を確認。これ以上手を入れてもあまりよく見えないだろうということでコクピのデッチアップはここまで。細部を塗り分けて終わりといたします。

それにしても進まない。とにかく眠い・・・

休みがいっぱい欲しい(笑)

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