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2017年11月

昭和の自衛隊(番外編2)-遠軽駐屯地のこと

さて、無事に訓練期間を終え任官したうちのおやじは、そのまま遠軽の部隊に配属されました。

遠軽の駐屯地は創設時馬小屋が隊舎だったという伝説(事実)がありますが、おやじに確認しましたところ昭和27年1月の時点では、もうすでに馬小屋の面影はなく見た目は普通の隊舎になっていたそうであります。

みなさまの気になるところの当時の編成ですが、おやじの記憶によると赴任当時は遠軽の第4連隊第3大隊は本部中隊と9個中隊という編成となっていたらしい(WIKIの設立時の編成とは異なりますが、編成は随時改変されいたと思うので一応聞いた通りに書いておこうと思います)
そのうちの第一~第四中隊が歩兵(普通科)、各歩兵中隊は第1~第4小隊と付属の重火器小隊で編成、各小隊は四個分隊から構成されており、1分隊は9人編成だったとのこと。

小隊長を含め隊員は各小隊一名の自動小銃手(ブローニングM1918?)をのぞいて武装は全員M1カービンが渡されていたということです。
ちなみに中隊長はコルトの45口径を携行して小銃は持たないようになっていたとのこと。
中隊付属の重火器には60mm迫撃砲(M-2)が装備されており、さらに第5中隊が重火器中隊で81mm迫撃砲(M-1)が装備されていたとのことです。

さらに第9中隊が輸送中隊(自動車中隊?)とも言っておりました。

こうやって書き起こしていると自分でもそれでは第6~第8中隊は何だったのだろうと思うのですが、聞き取り時は酒を飲んでることもあり話はあっちこっちに脱線するわけで、
要点をメモするのが精いっぱいでありました。自覚しておりますので不備に関してはどうぞご容赦くださいませ。
当時の写真を見ると装備にM20装甲車、M-16ハーフトラック、ブローニングM2などがありますので、そのあたりの関係かなとも思いますが想像になるので今後の課題にしようと思います。

つづく

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昭和の自衛隊(番外編)-創設時の一警察予備隊員のこと

さて、私のブログの読者様の中にはご存知の方も多いのですが、私の父親は元自衛官でありまして、

警察予備隊に新兵で入隊して、叩き上げの下士官で最後は昭和61年に三等陸尉で退職いたしました。
詳しい方も多いと思いますが、自衛隊員の階級は退職金の関係で退職時に一階級昇進となる慣例がありますので、(参考:ポツダム中尉)
実質的には最終階級は准尉であります。まあお判りとは思いますが幹部コースではない正真正銘のたたき上げ下士官であります。

みなさまもそうではないかと思いますが、特に特殊な経歴のない自分のおやじのヒストリーなんぞには若いころ正直それほど興味もなく、自分からいろいろ聞き出すなどということはありませんでした。
しかし自分もそろそろ老境にさしかかり、せっかくだから創設時の自衛隊についておやじの頭が確かなうちにいろいろ聞いておこうと思い始めたのが数年前、しかしその後なかなか里帰りする機会が無くちゃんと話が聞けたのが今夏の帰省時のことなりました。
以下は書き起こし、聞き取り役の私の知識に限りがありますので階級や日時には細かい齟齬があるかもしれませんが、今となっては幹部自衛官以外の自衛隊創設時の情報は案外貴重かもしれんと思ってそのまま書き出しております。

警察予備隊に入隊と書きましたが、昭和25年8月の第一回警察予備隊隊員募集におやじは応募しておりません、というのもおやじは昭和8年4月30日生まれ、第一回募集7万5千人の応募資格は大正4年4月2日~昭和7年4月1日(35歳~18歳)だったからであります。
秋田の貧乏農家の次男坊で新制高校に行かせてもらえなかった当時のおやじとしましては、当然魅力的な選択肢であり非常に残念だったはずであります。(なんと任期2年間の満期除隊で6万円の特別手当が付いた)
 翌昭和26年さらに一万人の欠員募集がありました、この時にうちのおやじは満を持して応募したそうであります。
この時も応募資格は前回同様35歳から18歳まで、つまり大正5年4月2日から昭和8年4月1日まででありました。(この時は欠員募集で期間が短いため満期除隊の特別手当は3万円だったようです)

この後の第二回募集からは25歳~18歳に年齢が変更になったそうでありますが、上限35歳というのはいかにも創設時ならではの年齢設定でありますね。

ん?昭和8年4月1日?うちのおやじギリで採用年齢達してないやん!そんなんでちゃんと応募できたんかい?
はい、応募いたしました。結論としては合格、採用されておりますので、それほど厳格な運用ではなかったようですね。
とはいえ合格通知をもらって昭和26年10月出頭した金沢(なんと東北ちほーではない!当時まだとーほぐには拠点が無かった?)の訓練キャンプ(警察学校?)におきまして、
出頭したのに採用者の名簿に名前が記載されていないという衝撃の事態が発覚したそうであります。
 
 おやじとしましては金沢くんだりまで来ていまさらすごすごと帰るわけにはいかず、採用通知はちゃんと来ているからと係員に採用通知を突き付けて、最終的に無事採用されたとのことでありました。
普通に考えると採用通知後におやじが採用年限に達していないことに気付いた名簿作成担当者が名簿からおやじの名前を抹消したのかもしれません。
いずれにせよそのあたり実務担当者のおおらかな措置がなければ、おやじはそもそも警察予備隊に入隊できていなかったとおもうので、創設時のどさくさに感謝でありますね。
入隊時のいきさつはそれといたしまして・・・

無事入隊できたということはですね、昭和26年10月の時点ではうちのおやじは全国最年少の警察予備隊員だった可能性があるのではないかと思うのです。
まあ、うちのおやじ同様150円の初任給と満期除隊3万円の特別手当に惹かれて応募した年限未満の採用者が他にもいた可能性はかなり高いので最年少の肩書はは置いておきます(笑)
(なお給料はその後170円に増額されたそうであります)
三か月の訓練期間を終えたおやじ殿は昭和27年1月二等警査に無事任官いたしました。良かったね。

つづく

*ご指摘によりとりいそぎ一部内容を修正しております。私が年号か年齢の上限を間違えているようです調べてから正しい内容に修正します(陳謝)

第一回目が35歳~18歳であったことは間違いないようで、欠員募集もおそらく同じ条件、二回目募集から25歳上限のようであります。

更に訂正、おやじの退官は昭和61年、当時は53歳定年だったのを忘れてました。

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