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2017年12月

じぇーなな(その7)完成しました。

ようやく完成。

Kyushu J7W1 Shinden (震電/Magnificent Lightning)

みなさまご存知の超有名試作機震電です。

空技廠の鶴野正敬技術大尉の企画したなかばコンセプトモデル、『本気ならば九飛なんぞにはやらせはしまい』と九飛の技術者が自嘲したといわれている震電ではありますが、圧倒的外観のアピール度が幸いして模型界では超メジャーなんですよね。

三回の試験飛行のみで本格的な性能は未知数、果たして400ノットの予定性能が発揮できたかは怪しい限り、仮に戦力化できたとしても様々な技術的問題に直面しただろうことは容易に想像がつきます。

しかし格好いい、何度も言いますが格好いいは正義であります。

でありますので暴挙とは自覚しておりますが松山の三四三航空隊に配備された並行世界のJ7の雄姿を再現することといたしました。

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機番号343-61はもちろんフィクション、戦闘701維新隊の所属にしています。(個人的に鴛淵リスペクトであります)

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30mm銃4丁は押し出しが良いのでそのまま再現しましたが、個人的には20mm4丁に変更になる可能性が高かったのでは?と思ってます(それも並行世界の俺設定ですが 笑)。

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古いキットですがコクピ内はちょっといじればそれなりに雰囲気が出ます。当時の鮮明な画像が無いのが残念なところ。

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この震電、リアクオーターではなく7時ぐらいの位置からのショットがベストアングルのような気がします。各種アウトレットが良いアクセントになってとても写真映えします。

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塗装はシロイルカが海軍機を作る場合のデフォルト、ラッカー系の下地銀塗装にタミヤアクリル迷彩色⇒銀剥がしとしてます。やり過ぎるとわざとらしくなるので作業的に楽しくなってくる直前でフィニッシュしています。
ラッカー下地、アクリル上塗りの場合の銀剥がしのコツですが、塗装直後の塗膜が弱いうちに大きく剥がし乾いてからはちまちまと微修正しながら自然なハゲちょろを追求するといいとおもう。
(銀剥がしと書きましたが実態は剥がして下地銀を出す、が正しい表現ですな)

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しかしこうしてみると垂直安定板の面積が少なすぎて見た目的にはヨー安定が不安かな。試験飛行時の機首偏向も含めてこのあたりがこの機体のネックになりそうですね。

(あくまでも見た目モードの話。いろいろ読んでみると以外にも『横安定は良好』とあったので、自分の見る目のなさに失望したりして)

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六か月ぶりの完成品、季節は冬になってしまいました。俺の模型の秋はどこに行ったんだ(笑)

それでも皆様に年内最後の完成品をお目にかけることができましてうれしい限り。

年末は自宅で模型三昧したいなぁ、できるかなぁ?

それでは。

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昭和の自衛隊(番外編3)-保安隊から自衛隊へ

さて、前回の続きですが、ここから先はそれほど面白い逸話はあまりないのですが、備忘もかねて。

おやじは27年の1月に一度帰郷を許可されて秋田に帰り、帰営のため青函連絡船に乗った際、酔狂にもずっとデッキに出ていてしこたま風邪をひき、それをこじらせたのでありました。

営内に戻っても風邪は全然良くならず、最終的に医者に掛かったところ肺浸潤と診断されそのまま入院、2月~5月まで病院暮らしと相成ったそうであります。

うちのおやじは私が物心ついてからは病気知らずの頑健体質なのですが、当時は栄養状態が悪かったのでそのせいでしょうかね?

(肺浸潤といえば私の感覚では、え!結核じゃないのそれ?なのですがおやじ曰くいろいろな見解があるとのことで、結核という認識ではないらしい フム)

さて、退院後も引き続き営内休を言い渡され一週間ほど同様の営内休の同僚隊員と過ごしたらしいのですが、当時は6万円の一時金欲しさにだらだらと病気を理由に営内休を続けているような隊員も結構いたらしく、うちのおやじはこんなところに長くいてはマズいと本気で心配したとのことであります。

そんな折、旧軍出身の先任士補から職種募集の話を聞きます。新しく設立される武器課の設立要員に応募しないか?という話だったようです。この時期米軍側からの指示もあり各種部門の設立と要員養成が急務になっていたと思われ、若い隊員は囲い込みの対象になっていたのでしょう。

27年9月遠軽にて正式に島松に置ける武器課設立要員の募集があり、おやじはこれに応募。27年10月設立が発令され27年12月正式に補給廠のある島松駐屯地のそばの恵庭駐屯地に移駐・編成完了(WIKIで見ると第728武器大隊)。これでおやじの職種が武器課になることが確定しました。

この後すぐ27年10月には警察予備隊は保安隊に改組になります。おやじも二等警査から二等保査に階級が変わります(呼び名が変わっただけともいう 笑)。

このあと28年~29年にかけては島松で隊務についており特別な逸話はなしであります。階級は一等保査、保査長、29年1月に三等保安士補(自衛隊でいう三曹)へと順調に昇進しております。

この後29年7月に保安隊は自衛隊にまたまた改組、おやじは三等陸曹にまたまた階級が変わりました(笑)

29年12月の時点でおやじは武器群本部中隊に所属していたと言っております。(この時点で北部方面隊だったのかそれ以前の編成だったのか聞き忘れましたが)

というわけでおやじの遍歴が自衛隊の編成史ともリンクしており興味深いのですが、今回のお話は時間切れでここまで、この後私が生まれてから北部方面総監部武器部に転勤になったり藤沢の武器学校に送られたりするのですが、その話はまた機会があれば聞き取りしたいと思います。

最後に自衛隊らしい逸話で締めます。

おやじが北部方面武器隊にて勤務していた折(昭和40年前後)、武器隊隊長から『このなかで自動車免許を持っていないものはいるか?』との下問があり、その時点まで免許を取る機会のなかったおやじが手を上げて答えたところ。

すぐに免許を取るように手配がされて真駒内の駐屯地に通い、駐屯地内の練習場で練習&講習を受けて免許を取らせてもらったとのことでした。(ちなみにおやじは大特まで持ってます)。

必ずしも給与が良いとは言えない下士官自衛官に対する福利厚生の一環だったのかもしれませんがこのあたりいかにも自衛隊らしい話だと思います。(武器隊という職種柄、表向きは回収のための大特は必須という理屈だとは思いますが・・・)

それでは今回の番外編もこれにて終わりとさせていただきます。

お付き合いまことにありがとうございました。

12/14訂正:記事内で武器課としましたがこれは兵科の種類だと思うので武器科とすべきでしょうね。今回は自戒も込めてそのままにしておきます。

あと、藤沢の武器学校と書きましたが武器学校は土浦なので地名の聞き間違いか藤沢にあった別の施設なのか確認しようと思っています。

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じぇーなな(その6)基本塗装完了まで。

ひさびさの模型更新です。

自分のブログ更新もですが、ここ数か月皆様へのご訪問も滞ってしまいまして誠に申し訳ございません。

公私ともに忙しいと言えば聞こえはいいのですが、身から出た錆の部分もありまして・・・

この更新を手始めにご訪問も再開するつもりです。

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さて、どこまでブログで上げたのか忘れてしまうほど時間が経ってしまいました。

時系列で振り返ってみました。

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キャノピーマスキングの前に四式射爆照準器を作製。

キットのモールドを生かしながら、切った貼ったしてそれらしく造作しました。

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キャノピーマスキング後、全体にクレオス08番シルバーを吹いて銀剥がしに備えます。

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ここで問題発生、三点姿勢で尻もちをつかないと仮組み時に思っていたのですが、ペラをを付けてから三点姿勢にしてみると見事に尻もちをつくことが判明。

われながら間抜けさに変な笑いが出ます。

仕方がないのでエッチングソーを使ってノーズコーン(でいいのかな?)の部分で機首をちょん切りましておもりを入れて再接着・・・と。

みなさまも入れ忘れにはご用心ください(笑)

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あらためて三点姿勢。んー、やっぱ震電は精悍ですなぁ。このままシルバー塗装でも格好いいかも知れん、などとつぶやきながらしばし脳内ブンドドを楽しみます。

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このあと面倒なマスキングをするために極小まで落ち込んだモチベーションをアップするのに一苦労(実はこれに一番時間が掛かりました)。

デカールなしの頂き物キットのためマーキングも機番以外塗装なのが地味に面倒くさい。

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で、やっと昨日の時点でこの状態まで持ってまいりました。

塗装はなんちゃって三四三空になります。

ツッコミどころ満載になると思いますが、じぇーななだからちかたないね。

進空飛行時の機体は塗装も地味だし武装もないので、逆にキットの状態から機銃口なしに改造が必要だし。

機番号デカールはハセガワの紫電改から流用する予定。

ということで本日はここまでです。

お付き合いありがとうございました。

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